社長インタビュー

サン工業小野寺社長インタビュー

地域の発展なくして会社の発展もない

サン工業株式会社社長 小野寺 徹

数ある仕事の中で建設業界で仕事をすることになったのはなぜでしょう?

まず、大学進学に際して美術系の大学に行きたいと考え、美術予備校に通ったのですが、そこに建築の先生がいて、美術系大学の建築学科があるということを知りました。父が建設会社(当社)を経営していてもちろん興味もありましたので、進路がそこで定まった感じです。大学では建築のデザインを学び、卒業後もゼネコンに就職してマンションや商業施設などを建設していました。

会社を継いだ経緯も教えてください。

その後、ゼネコンを退職し大学院に行きました。その時はいずれ父の会社に、という思いがあって建設産業や建設業の経営を学べる先生の研究室に入り、今の基礎となる時期を過ごしました。大学院修了後は、建設業以外の世界を見たいと思い、東京のコンサルティング会社に入りました。全国を飛び回ってやりがいもあり、結婚もして、このままこの仕事でもいいなと思い始めていた矢先、妻のお父さんが若くして亡くなり、義父も会社を経営していましたので、後継をどうするかについて親族間での話し合いに関わったりしているうちに、自分の実家のことも「無関係ではいられないな」と思い始めまして…。今後の人生のことなど色々と考えているところに、2011年、東日本大震災が起きたんです。建築の経験もありましたし、地元のために何かしたいという思いが募り仙台に戻ってきた感じです。

小野寺さんは長男ですか?

はい。でも父から「会社を継いでほしい」と言われたことはなかったですし、進路などについてはかなり自由にやりたいことをさせてもらったと思います。漠然と会社を継ごうと思った時期もあれば、特に考えていない時期もあったりですね。前の仕事が面白くてやりがいもありましたし。…でもどこかで建築の仕事がしたいと思っていました。

血筋ですかね。継ぐと決めてから、お父さんはどのようなリアクションでしたか?

それが良いも悪いも何も無かったですね(笑)。たぶん震災の後で、父も来て欲しいと思っていた時にちょうど私が「戻って来る」と言ってきて…

「ちょうど良かったな」ぐらいの…

私としても会社を継ぐにしても、継がないにしても、いずれにしろ無関係ではいられないとも感じていました

「采配を振るう」という面白さも、この施工管理という仕事にはあります。

奥様の実家の後継者問題を経験し、自分のことに置き換えて思考するあたり、やはり長男だな、という感じがします。
きっかけは「震災」だったかもしれませんが、そもそも心の準備ができていなければすぐに行動には移れなかったんじゃないでしょうか。因みに子供の頃はどんな子供でしたか?小さい時は何が得意だったんですか?

性格的には落ち着いていて、幼少期は基本うちで静かに絵を描いたりしていましたね。小学生から高校生までは野球をやっていましたので、野球の思い出しかないです。大学は建築の設計、デザインを学んだのですが、就職を考えるとき実際に現場でものを作る側に興味がありました。屋内で黙々と図面を描いているよりは、現場で仕切るというか…。

それこそ大学生の時はイベント運営会社でコンサートスタッフのアルバイトをしていて、現場で人を割りふったり、動かしたり、全体を見て管理する仕事が楽しかったですね。


目配り気配りをして、効率よく人員を動かさないと現場が回らないですもんね。そういう役回りが得意なんですね。

そうですね。自分の采配で現場を仕切るのが好きだったのかも知れません。

今の仕事の魅力はなんですか?

小さい現場からそれなりに大きい現場、修繕から新築まで様々やるわけですが、規模を問わず思い描いた通りに、あるいはお客様の求める通りに出来上がった時は嬉しいです。そこがこの仕事の魅力であり、楽しいところだと思います。

また、弊社は大きく分けると公共工事、民間企業の建築工事、個人住宅系の3つがあり、大小様々な現場で協力業者さんや職人さんに動いてもらって「采配を振るう」という面白さも、この施工管理という仕事にはあります。

自分が思っていたイメージのものと違うこともあるじゃないですか?そういう時にはどう思いますか?ストレスにはならないですか?

そうですね。特に年齢が若いうちは、職人さんがなかなか言うことを聞いてくれなかったり、それでも立場的には監督なので、お願いして動いてもらわなければなりませんし、全部思い通りにいくわけではないです。人を動かすスキルも経験と共に段々上がってくるものなので、その過程は苦労しますよね。

どんな仕事もそうだと思いますが、最初の1、2年は面白さよりも大変さの方が大きいんじゃないでしょうか。経験豊富な職人さんからしてみれば、1年目で何も知らない、年齢も息子ほどの人間にあれこれ言われても、まあ、言うこと聞くわけないですよね(笑)。

意地悪な人はわざと言うことを聞かなかったり…。でもそのうち、こっちも成長してきて、現場の人も徐々に認めてくれて、段々と対等になってきて、いずれはそれを乗り越えて、いろんな知識経験を持った上で指示できるようになるんです。石の上にも三年ではないですが、三年過ぎると急に変わります(笑)。

私も最初ゼネコンに入った時、最初の1年目、2年目は毎日辞めようと思っていましたよ(笑)。突貫工事で連日夜中2時まで作業をしていたときなどもありましたから。


それは時間的に辛かったんですか?それとも人間関係?

どっちもです。色々分からないことだらけの中、指示を出さなくてはならないプレッシャーと長時間労働。寝る間も、辞めるタイミングもないまま次の新しい現場が始まるという…(笑)。

それでも辞める人は辞めると思います。小野寺さんが辞めなかった理由はなんでしょう。持ち前の責任感からですかね?

やっぱり、そもそもその仕事をやりたいと思っていたからですよ。忍耐力もあったかもしれません。


忍耐力は野球で鍛えられたんですかね?

体力的にはそうかも知れません。母からは「小さい頃から我慢強かった」と言われたことがあります。
「大変でもいずれ過ぎる」ということを、その時既に分かっていたのかもしれないです。何よりも「この建物が完成するまでは辞めたくない」という気持ちが強かったですね。ただ、振り返ると辛かったというよりも、乗り越えた充実感の方が大きいですし、長く働くということはそれだけ学びも多く、5時で仕事が終わるよりも何割増しかで仕事を覚えられたと、今では感謝しています。

先代(お父さん)が創業者ということですが、先代がよく言っていること、心に深く刻み込まれている言葉はありますか?

社名が「サン工業株式会社」といって「建設」とか「工務店」という言葉が入っておらず、建設業かどうかも分からない名前なのですが、それには理由があって、「どんな仕事でも頼まれたら対応する」というのが根底にあるんです。狭い意味での「建築」や「工事」に限らず、誰もやらないような仕事も引き受けられる会社でありたい、ということで、工務店とか建設という文字を入れない社名にしたと聞いています。

建物に関することって、案外どこに頼めば良いか分からず困っている場合もあるので。そういうこともうちに言ってくれれば、どんなものでも対応しますというのは大事にしていることです。


小野寺さんも2代目としてその方針に納得し、そうあるべきだと…。

そうですね。少なくとも建設の分野では。建設会社って本当は「新築しかやりません」とか、逆に「改修しかできない」「設備は別」「木造だけ」「内装工事」「塗装工事」等々範囲が決まっていることが多いんです。その方が専門性もあり、「何屋」というのが明確で会社としての利点も大きい。
でもうちは建物に関することで、「分からない」とか「対応できない」とは基本的には言いたくない。それが「強み」でもあり、逆に「弱み」でもあるのかもしれませんが。

御社で働く人は色々な現場でバリエーションに富んだ仕事が経験できるということですね。楽しそうです。

そう思える人であれば、かなり面白い会社だと思います。仙台市青年文化センターコンサートホール改修工事では、オーケストラに対応する音響設計に基づくステージを作ったり、気仙沼向洋高校の移転改築に際しては、当社はプール、テニスコート、相撲場などを建設し、土俵や鉄砲柱なども作りました。現在は、住宅系を再度力を入れようと新商品を発表し、イベントを開催したりしています。
一方で、網戸の交換とか、テーブルを直してなどのちょっとした修繕等様々な仕事があります。
「こういう工事は経験があって、こういうのならできます。それしかやりません」という人だとちょっとマッチしないと思います。

今、働いている人は、お父さんの代からの社員さんがほとんどですか?

いえ、大半は入れ替わりました。人数はもともと10人で、今も10人くらいです。元は職人さんも半数くらいいましたが、現在はほとんどが管理の仕事をしています。

お互いにプロとして仕事をきっちりする関係でいたい。

働く上で仲間との間で大事にしていることは何ですか?

建設のプロとしての関係性です。 社員が今よりもっと豊かに生活できるように、少しでも多く賃金を支払うことが経営者の役割だと思っています。そういう観点から、いい意味でドライに、お互いにプロとして仕事をきっちりする関係でいたい。普段からそういう風に振る舞うようにしています。

社員の生活を今よりももっと豊かにする、そこに向かう過程では、馴れ合いでなく、プロとしての厳しさが必要ということですね。当然と言えば当然です。

仲良くやるのが一番ストレスもないかもしれませんが、それを第一にすると、ちょっとくらい違っていても「まあいいや」というふうになりがちなので。それではお客様に満足していただけないし、次の仕事にも繋がらない。協力業者さんも同じです。

死んでも絶対に変えたくないポリシーはありますか?

大事にしていることは責任感です。約束したことはきちんと守れるように全力を尽くす必要があります。建設業の請負契約とは、決められた工事の完成を約束し対価をいただくものです。とても重い契約ですので、責任感がなければ務まらないと思います。途中で逃げ出したくなるような現場であっても踏ん張ってやり遂げ、達成した時の充実感や安堵感、そういったものが仕事の喜びだと思っています。それを繰り返すことでどんどん成長していけるのだと思っています。

施工管理は大きく「品質」「納期」「コスト」この3つのバランスを取るのが仕事。お客様も満足し、こちらも適正な利益を得られるその一番いいバランスがどこにあるか見極める必要があります。その上で仕上りの「美しさ」は妥協したくないです。

現場をやっていると、どうしても時間とかコストを気にして、そこがおろそかになる部分もあるので。私は美しくなければ建築ではないと教わってきたので、人間がやれる最大限のところまではやりたい。

素晴らしいですね。きっちりと仕事をされているのですね。

いえいえ、立派なこと言ってても、仕事以外では抜けているところや適当なところもあって、よく初対面の方からはマジメそう、きっちりしてそうと言って頂きますが、親しい仲間などからは「ホントはそうでもないけどね」と突っ込まれます。(笑)

そうなんですか。逆になんか少しホッとしました。

本来の自分はのんびり屋なんですよ。でも仕事上はそれではやっていけないので気を張ってやっている感じです。頑張らなくても生きていけるのであれば、のんびりしたいところですが、会社を成長させて、社員の生活を豊かにして、地域をもっと良くするためには、経営者として先頭に立ってしっかり頑張らないと。

でも本当はのんびり屋さんで平和主義

基本そうなんです。仕事上も、一生懸命取り組んだミスとか失敗に対してはどうこう言うことはほとんどないと思います。そうではなくて適当に仕事を済ませたり、約束を平気で守らなかったり、ということがあればきちんと指摘します。プロとして、社会人として、「責任感」に欠ける行動はいけないと。また、組織の和や秩序を乱すことは一番して欲しくない。これからもっと組織を大きくしていく計画なので、そういう事からしっかりやっていきたいです。

次は勤務体制についてお聞きします。残業などはどのような感じですか?

会社としては上限を設けていますし、定時で帰れることも少なくないです。ただ、建設業はどうしてもまだまだ労働生産性が高くないので、残業もゼロではなく、平均で月10時間から15時間程度となっています。私としては残業しないで済むならそれに越したことはない、という考えです。もちろん、本来やるべきことが終わっていないのに時間だから帰りますというのは責任感やプロ意識としてどうかと思います。今は人によって偏りが見えるので組織として協力しあって極力平準化していく方向です。

だいぶホワイト企業ですね。

どうでしょうか。仕事の内容としては大手の現場と比べたら楽なほうだと思います。でも経験が浅かったり、能力にもよると思うので何とも言えないですが。


家族を犠牲にするのではなく、家族のために仕事を頑張ってほしい。

基本的に採用に関してはある程度経験した人に来てほしいということですが、そうじゃない場合、教育制度みたいなのはあるんですか?

はい。現在は若手の比率も高くなっていて、中途採用においては、建設会社での現場管理を経験してきた有資格者を最優先に採用活動を行っています。経験があっても当然会社毎に考え、やり方が異なる部分がありますので、そこはしっかりとお伝えしていきます。基本は実際の仕事を通して覚えていく感じになるので、OJTという形になります。経験の無い人には誰かが一緒に付いて技術も含め教えながらやっていく形です。
※教育施策の一つで職場での実務経験を通して業務に必要な知識、能力、技術などを身に付けること

資格取得のサポートや、研修などはありますか?

資格取得については、まず学び続けるということは奨励していますし、応援しています。大事な試験があるときには、業務の調整とかできる限り配慮はしたいと思います。施工管理や建築士以外にも様々な建設業の資格があるので、そういうものは会社で費用を負担し、講習を受けて、取ってもらうこともあります。施工管理技士とか建築士に関しては学校に通う場合などは、基本的に自分で通っていただき、受かればお祝金という形で戻しています。

最近よく耳にする「健康経営」。それに関しての取り組みはいかがですか?

協会けんぽ宮城支部「職場健康づくり宣言事業所」認定事業所になっています。
環境マネジメントシステム「みちのくEMS」の認証を受け、環境への対応や、宮城県の「女性のチカラを活かす企業」の認定など、会社として様々な取り組みをしています。

建設業界はまだまだ女性の活躍が目立たないイメージですが。

私としては弊社でやっている工事、案件に関しては、男女関わらずできると思っています。これまでも現場監督、施工管理ということで活躍してくれた女性社員もおりました。

因みに女性が思いっきり活躍するために、仕事と育児を両立できるような環境や制度は整っていますか?

女性に限らないのですが、当社は「家族第一」に考えています。運動会などの学校行事や地域の活動、場合によっては家族旅行なども含めて仕事をうまく調整して参加してほしいと思っています。事前に予定が分かっていれば、ある程度調整が可能な会社ですので、家族を犠牲にするのではなく、家族のために仕事を頑張ってほしい。そういう考え方の下、柔軟に対応しています。

過去に女性を実際に採用してみていかがでしたか?女性でもいけるなと?

はい。現場も空気が和らぎます。厳しかった職人さんもなぜか優しくなりますし(笑)何よりお客様が話しやすいと思います。女性のお客様であれば尚更安心して相談できるんじゃないでしょうか。家の中をリフォームする時とかも、女性の方が絶対いい思うんですよね。女性の活躍は期待しています。

建設関係はまだまだ女性が少ない印象です。サン工業がその先駆になってほしいですね。最後に、小野寺社長の描く未来を教えてください。どんな未来を目指しますか?

会長が設立から33年社長を務めて土台を創ってくれましたので、私は次の30年でその土台を生かしながら、さらに飛躍し地元企業として存在感を示していきたいです。そのためには、地域の中で一定のポジションを確立する必要があると思います。

一定のポジションとは具体的には何でしょうか?

当然、規模だけではないのですが、ある程度の人数、売上があるからこそ、地域の役に立ち、地域の皆さまに必要とされる会社であり続けられると思います。公共工事、民間建築、住宅不動産の三本柱をバランス良く、高い品質で顧客のニーズに応えていける会社としてもっと人材を採用してより強固な組織体制にしていく計画です。具体的には、現状の2倍の人数、売上を目指したいと思います。私もまだ社長になって3年ほどです。共に学び、汗を流し、より豊かな暮らしを目指していく新たな仲間を増やしていきたいと思っています。

先程も「会社を成長させて、社員の生活を豊かにし、地域をもっと良くしていきたい」とお話ししていましたね。

正直、地元に戻ってきたばかりの頃は、「地域」ということをあまり意識していませんでした。でも地元で仕事をしていく中で、地域との関わりなくして仕事が成り立たない、地域の発展なくして会社の発展もない、という結論に至ったんです。 コロナ禍や戦争などによる資源や資材の高騰も影響がありますし、高齢化、人口減少、自然環境など地域の心配事は沢山あります。自分たちにはどうしようもない部分もありますが、足元をしっかり見て、自分にできることを一つでも見つけて、どうすれば地域の未来が明るく元気であり続けられるかを模索し、地域に貢献できればと思っています。

プロフィール

小野寺 徹(オノデラ トオル)

出 身 地 宮城県仙台市
生年月日 1978年7月
趣  味 ゴルフ、一人食べ歩き
最終学歴 工学院大学大学院工学研究科建築学専攻修了
東北芸術工科大学デザイン工学部環境デザイン学科卒業
職  歴 中堅ゼネコン、日系コンサルティングファーム
実績や資格 一級建築士
1級建築施工管理技士
宅地建物取引士
現在取り組んでいる地域の活動 ・仙台北法人会青年部会
・泉消防団上谷刈分団
・みやぎ仙台商工会
・宮城県建築士事務所協会
・宮城県宅地建物取引業協会
・みやぎ中小建設業協会青年部会
・仙台泉ロータリークラブ
・泉青年会議所OB会事務局次長
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